SNS運用について見直そうよって話
3月27日に更新のジャにのちゃんねる#112。動画の内容はなんてことない楽しいドライブ企画ですが、その概要欄を読んで少し思ったことがあったので久しぶりにこのブログを更新します。
知らない方のために経緯を簡潔に伝えると、
➀3月26日放送のオールスター感謝祭で二宮和也がアーチェリー企画に参加
➁コメントを求められた向井康ニが「外すと思います」と発言
③その発言を先輩に失礼だと批判したファンがいた
④それを受けて二宮がジャにの概要欄にてファンに釘を刺す
なお、向井本人から西畑大吾経由で謝罪があった模様
という流れです。
詳しくは実際の概要欄を見てください
概要欄を読んだ方はわかると思いますが、言い方は優しいもののかなり直接的に釘を刺しに来ています。芸能人やっていたら常に批判は出ているでしょうし、いちいち触れていたらキリないにもかかわらず口を出してきているあたり今回は見過ごせなかったのでしょう。
そもそも、今回はオールスター感謝祭という「生放送中に」「大勢いる中」「コメントを振られた」わけですから、こういうことが起こっても仕方ないと私は思っています。当日リアルタイムで見てましたが、向井くんスベったな、としか思いませんでしたし、あの場面で「外れると思います」と発言したのは別に悪手ではなかったと思います。確かに応援するようなことを言えば無難でしょうが、高得点にあたっていても外れていても挑戦後にもう一度振ってもらえるかもしれないコメントでした。ただ、彼が不運だったのは、生放送だったということ。あとでいくらでも編集できる収録と違って生放送は、時間通りにきっちりかっちりやらなければなりません。向井君のコメントを深堀りできる時間的余裕もなく、ニノなら挑戦後にどうとでも処理できたでしょうが、結果としてスルーされスベってしまったという風な印象を受けました。あえて彼の発言に評価を付けるなら「収録番組なら面白かった」だと思います。
しかし、彼の発言はプチ炎上していたみたいです。あくまで伝聞調なのは、私がそのツイートをリアルタイムで目にしたわけではなかったから。概要欄を読んでからパブサしてようやく見つけたレベルです。普段の彼を知らない私のような人間から見ても、彼の発言に悪意があるとは思えませんし、実際にニノ自身も失礼に値する発言だとは露ほども思わなかったからこういう形でのフォローを入れたのでしょう。それなりに長い年数かけて二宮和也という男を見てきましたが、若かりし二宮和也のほうがよっぽどきつい物言いしていましたし、年齢を重ねてからも、特に親しい相手には相変わらずきつめの言葉をかけています。自分が他人にしている物言いよりはるかにマイルドな発言を失礼だと捉えるほど、二宮和也の人間性は曲がっていないと思っています。
さて、前置きが長くなってしまいましたが、ここからが本題です。
この件を受けて私が感じたことは、一般人もSNSの運用を見直さなければならないということです。
SNSが普及し、多くの人が日常的に利用するようになった現代。特にTwitterというツールはその手軽さから反射的な投稿をしてしまいがちです。今回のようにテレビをみながら独り言感覚で感想を投げたり、自身の感じる不平不満を投げたりそういった使い方は多くの人が日常的にしていると思います。別にそれ自体を悪いことだといいたいわけではありません。ただ、そのツイートの矛先には自覚的であるべきだ、という話をしたいのです。
あなたにとってはただの独り言なのだと思います。しかし、ことTwitterという媒体においては、あなたの独り言は消えゆく音声ではなく、文字化され、インターネットの海に流されていきます。現実世界の独り言は、その場限りで、録音でもしない限り消えていきます。あなたの発言は、その空間を共有していた人だけが知るものです。けれども、文字化された「つぶやき」は、どこの誰であっても目にすることができてしまいます。その場にいない、あなたが知らない誰かさんもあなたの発言を知ることができてしまうのです。その誰かは、あなたが批判した、その人かもしれません。
実際に今回の件も、ファン*1の、失礼だという批判を向井君やニノ本人が認知していたことによって起きたことでしょう。そうでなけれなわざわざ謝罪*2があったということまで触れる必要がありません。
ツイートという誰でも手軽に気軽に閲覧できてしまう発言は、その矛先が誰に向かっているのかを自覚すべきだと私は思います。よく、「画面の向こう側には人がいるのだ」と言われます。抽象化された言葉に共感を示せない人もいるかもしれません。そんな人は近くのスーパーのご意見ボードを思い出してください。誰かがアンケート用紙に向かって殴り書いたご意見はスタッフ以外のお客さんにも閲覧可能です。あなたが店員だとして、名指しで批判されたらどう思うでしょう。自分なりに精いっぱいやっていたレジ業務が遅い、接客態度がなっていないとかかれていたら。そう考えれば少しはインターネットで悪口を書く意味と、その矛先について想像ができるかもしれません。
それでも、自分の思ったことをつぶやくのがTwitterだと言う人もいるでしょう。それはそれで構いません。ただし、そのツイートの主語を「みんなそう思っている」だとか、「推しもそう思っている」といって主語を大きくしたり変えたりしてはいけません。そう思っているのはあなた自身であってまったく同じ考えの人はそういませんし、あなたは推しの代弁者ではありません。あなたが失礼だと思ったことは、あなたにとって失礼なことであり、必ずしも推しにとって失礼に値することとは限りません。
ただのしがない一般人であってもSNSでは発言に気を配るべきだと、私は思います。なにか批判的なことを投稿するときには、それを本人が目にする可能性が低くないということを自覚しているだけでも、衝動的な誹謗中傷は減るのではないでしょうか。悪口を本人の目の前で言うことは、まともな精神状態の人間ならしないでしょう。結局は、「画面の向こうには人がいる」これに尽きるのだと思います。
オタク、実力実力っていうけど本当に実力求めてる??
みなさん、Girls Planet 999はご存じでしょうか。
先日韓国Mnetで始まったプデュシリーズに代わる新たなオーディション番組で、通称ガルプラ。日韓中からそれぞれ33人の少女たちがグローバルアイドルを目指して切磋琢磨していく番組です。放送に先駆けてYouTubeでは、テーマソングが公開されましたが、J-GROUPが公開されるやいなや、ツイッターにはセンターの子の容姿に関する誹謗中傷が溢れました。確かに、センターの江崎ひかるさんは目力が強く、溌溂とした可愛さというより、雰囲気のあるカッコよさという印象を持ちますが、素人目に見ても不安を覚えるようなダンスではありませんでした。彼女こそ、かねてより日本のオタクが望んできた「容姿より実力」タイプの人間ではないのでしょうか。しかしながら日本のオタクの評価は、彼女の容姿に対する微妙な反応ばかりでした。「容姿より実力で評価される人が増えてほしい」という主張が多かったにもかかわらず、そういった人間が現れたら現れたで、容姿に対してマイナスな反応を示すというのは、結局のところアイドルに求めているのは容姿の良さであり、実力はあればなおよし。ぐらいのものだったのでしょう。
実力より容姿というまなざしが顕著に表れたのは、PRODUCE 101 JAPAN SEASON2の佐野雄大でしょう。彼のダンスはおぼつかないものでそれに対する批判はかなりなものでしたが、最終的にデビューメンバーに選ばれています。PDJ2では実力があると評価された練習生でもファイナルに進むことなく脱落していきました。(というか実力を重視しているのであればFクラスの人間が勝ち残っていくことなど不可能なのでは??)アイドルは成長を見守るもの、という定説にはあまり賛成を示したくないのですが、ファン活動に応援が含まれるのは事実であり、特にオーディション番組であるとかえって実力がない方が応援されやすいものです。
そもそも、「実力」とは何でしょうか。ことアイドルにおいては、ダンスや歌のことを指していますが、では実力を求める意味って何でしょう。人気のあるアイドルになるため?何かしらの形で評価されるため?
実力と人気はイコールでないことは前述したとおりですし、アイドルが実力の評価を受け取れる場というのはそうあるものではありません。人気のあるアイドルに「でも歌下手だよね」だとか「でもダンス上手じゃないよね」などといっても、その人気をやっかんだアンチ行為としか思われないでしょう。アイドルにとって実力とは評価の一部であり、すべてをしめるわけではないのです。
これは私の持論ですが、オタクが実力が重要であると主張するときはたいてい、自分の推し以外を見ている場合がほとんどで、基本的にオタクは、その行為が道徳や倫理に背かない限り、推しの行動すべてがかわいいものです。うまく踊れないのもかわいい、歌が苦手なのもかわいい、頑張ってうまくなろうね。オタクとはそういう生き物です。結局、実力がないと批判したところでアイドルとして魅力的であれば多くの人間が応援しますし、実力があったとしてもアイドルとしての魅力に欠けるのであれば人気になることは稀でしょう。つまり、オタクがアイドルに「実力」を求め批判するときには、そこに何らかのマイナスな気持ちや拒絶反応があるのであって、推しに対してはそこまで求めていないことが多いのです。
結局SixTONES VS Snow Manとは何だったのか
2019年8月8日、東京ドームで行われたジュニアコンサートでSixTONESとSnow Manの二組同時デビューが発表されました。King & Princeがデビューしてから2年近く経ち、時期的にも妥当だったのでデビュー自体にはそんなに驚きませんでしたが、2組同時デビューという形をとったことには驚きました。アイドルという文化・コンテンツを好む私的にも興味深い出来事だったので勝手に考察していきます。
(念のため断っておきますが、いずれかのグループを批判するといった意図はありません。)
結論として、VS形式はSnow Manのためにあったんじゃないかと私は思っています。
理由として考えられるのは二者の人気の違い。
SixTONESはバラエティー番組やラジオ番組、ドラマなどマスメディアでの活躍がほとんどで大衆向けの活動を積極的に行っています。デビューしたグループには、ジャニーズブランドを広く知らしめ‘’ジャニーズ‘’に還元するという役割が期待されますし、そういう役割を果たせるであろうグループを事務所はデビューさせてきたのです。まだ完全な形ではないものの、メンバーそれぞれが活躍するメディアを確立させていっているあたりは従来のジャニーズのあり方と変わりません。大衆向けコンテンツを展開するSixTONESに対して、Snow Manは供給の多くが既存ファン向けです。冠番組『それSnow Manにやらせて下さい』は初回こそ地上波で放送したものの、その後は有料配信サービスに移行しています。(そもそも初回の地上波も十中八九配信への導入だったのでしょう)また、デビュー会見では春からのアジアツアーを発表していました。デビュー直後の有料コンテンツはオタクの購買力の評価といえます。それぞれの名義での販売となった2ndシングルの初週売り上げはSixTONESが65万枚、Snow Manが93万枚とその差が大きく開きました。サブスクリプションが主流となった現代は音盤の売り上げと流行が一致しないことも多々あり、流行った曲の音盤が売れるとは限りませんし、逆に流行ってなくてもオタクが強ければオリコンウィークリーで1位を取ることも可能な時代なのです。あんなに流行したOfficial髭男dismの『Pretender』もオリコン*1最高位は9位にとどまっています。*2VS構造はオタクの購買意欲をあおることができますし、特にSnow Manには購買力のあるファンがついていることがわかっていたのでしょう。(ジュニアに関しては具体的な数字が公になる指標がないので憶測になりますが。)
しかし、いくらSnow Manにオタク人気があったとしても、大衆人気が得られないのであればデビューする必要はありません。King & Princeがデビューした時点で一番年下でも25オーバーのSnow Manは新グループとしては年齢が高すぎて外部での仕事では正直扱いづらくなり、より一層大衆人気からは遠くなります。そんな中追加された3人のメンバーは、明らかに大衆受けが意識された人選でした。事実、2021年現在レギュラー番組をもっているのは向井くん・目黒くんの2人です(阿部くんのは毛色が違ってくるのでここではカットします)。ラウール君も若手ジャニーズ王道の少女漫画の実写映画で主人公を務めていました。いわゆる、「ジャニーズっぽい仕事」をこなしているのは追加メンバーの3人であり、言い換えればデビュー組としての務めを果たしているのは追加メンバーの3人です。こういった仕事をこなしていない初期メンバーがダメ、ということを言いたいのではなく、なぜ大衆受け要員を追加してまでSnow Manをデビューさせたかったのか、いろいろと邪推してしまいます。個人的な憶測を述べるとするならば、ここには滝沢副社長の思惑があったのではないかと私は感じています(ジャニーさんならばグループを解体して新たなグループを作ることはあっても、デビューさせようと考えているグループにメンバーを追加するということはしないのではないかという推測)。
現在、世界的に見てもアイドルはオタク人気と大衆人気によってそれぞれの道をたどっています。ジャニーズが変わらず大衆人気を得ることを目的としたアイドルを作り続けるのか、はたまたオタク人気路線に舵を切るのか、SixTONES、Snow Manの同時デビューはジャニーズ史を語るうえで欠かせないものとなっていくでしょう。